職員の個性とケア

ITだICTだロボットだAIだといったものが発展する中で、介護業界においても商品開発や導入への政策誘導などがされてはいます。家電(いえでん)がポケベルになり一瞬PHSになりガラケーになりスマホになるまでおおよそ20年くらいだったかと思います。私が業界に入ったのはガラケーの手前くらいのころでしたが、テクノロジーが大きく発展したことに比べて基本的な介護行為のあり方はそのころとほとんど変わっていないと感じます。

もちろん介護保険制度が導入されるなどの社会的変革や、褥瘡ケアの常識が大きく変わったりするなど医学的見解の変化はありました。しかしテクノロジーの発展による変化を感じるのは記録物が手書きやワープロからパソコンになったことと、電子血圧計などが使いやすくかつ安くなったことぐらいかなと思います。やはりケアの仕事は人対人の仕事ですから、具体的介護場面はそうやすやすと機械などがとって変わるものではないのでしょう。

そしてまた、人といっても誰でもいいというものでもないというのも実際でしょう。健診ナースやオペ室のスタッフならば技術が確かであれば特定の「誰か」でなければならないということでないのでしょうが、とりわけ介護施設などの生活場面では、利用者さんたちは特定の「Aさん」「Bさん」などであり、職員もまた特定の「Xさん」「Yさん」などであったりするところが大切なのだと思います。

誰かでなければならない・・・属人的、誰でもできるように・・・標準的 と呼ぶとしましょう。標準的とは要するにマニュアルであり、考えてみると社会機能の多くは標準性が求められます。社会機能は代替可能性(何かの時には代わりがきくように)や質的均等性が求められるからです。

しかしながら、介護現場が超マニュアル的で誰がやっても一緒・・・という感じが魅力的かというと、それはそれで違う感じはします。とはいえ、標準性を排除して属人的な現場もまた代わりがきかず過酷か、あるいはその日ケアする人によってどうなるかわからないといった混乱めいた状況にあるでしょう。

介護に限らず、学校の先生や保育士といった「対人援助」や「接客業」では、標準性を担保しつつ一定の属人性も求められるという側面があると思います。これは考えてみると、「誰でもよいが誰かでなければならない」という一見矛盾した命題を求められているともいえます。

実際には、必要な標準性を確保したうえで、いかにそれぞれの従事者の個性を生かすことができるか、ということが大切なのでしょう。それには絶えず検討や工夫が必要なのではないだろうか、と私は思います。

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