優生思想

私たち福祉事業者にとって絶対に起こしてはならない最悪の事件として「相模原障害者施設殺傷事件(通称 津久井やまゆり園事件)」が有名です。

本事件における犯行動機を支えた考え方については「優性思想」ではないか、と言われています。

優生思想とはナチスドイツの根底に…日本にもある「優生思想」の危険性 | ananニュース – マガジンハウス (ananweb.jp)などで説明がされますが、弱者排除を進化論という科学をもって正当化するものです。

この優生思想の「厄介な」ところは、自然淘汰(強者が生き残り弱者は淘汰される)や生殖による遺伝情報の保存といった「生物学的な」部分は自然の摂理として否定しがたいということです。ゆえに、上記リンク先でも少し紹介されているとおり、何かの言説の中に「一定の説得力」をもってすっと優性思想的言説が紛れ込むことが数々あります。

しかしそれは、生物学的なそれを「社会」に持ち込んだわけで、そもそも生物界における法則と社会における法則を同一のテーブルで語るべきことではありません。人間社会はすでに生物学的法則をはるかにこえた文明を有しています。文明を完全に排した自然界で、遺伝子レベルで優れているから生き抜くことができるという人間は地球上の人間のなかでも実はわずかなのかもしれません。

現代社会では、いかなる命、いかなる人生も大切にするということをゆるぎないものにすべきです。

「トロッコ問題」というものがあります。下り坂を下っているトロッコの線路がほどなく2つに分岐していて、片方に子ども、片方に老人がいて、あなたはどちらにハンドルをきりますか、というものです。

こうした極限状況を設定されると、私たちはより「役に立たない」側がひき殺されてしまうことは仕方ないと考えてしまいがちです。

私はこう考えます。こうしたトロッコ問題というものが「問題」だと。

これは、排除されてしまうものがあっても仕方ないと「正当化」させるための言説です。こうした極限状況にならないためにどうしたらよいかということこそ真剣に考えるべきではないでしょうか。

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